ひむかブログ1 (宮崎人のブログ)

HimukaBlog〜宮崎県在住の開設者の宮崎観光中心、雑記みたいな〜
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「神武さま広場」で神楽を

 今年も宮崎の秋を彩る宮崎神宮大祭「神武さま」(宮崎神宮御神幸奉賛会主催)の御神幸行列が10月28日(往路)、29日(復路)と開催されました。
宮崎神宮大祭は明治9年に始まり、今年で130年の歴史を重ねた宮崎の貴重な文化財産です。
 →(平成18年度宮崎神宮神武大祭プログラム)

御神幸行列往路の夜は、ここのところ例年、橘通りデパート、山形屋からJR宮崎駅までの通り(高千穂通り)が歩行者天国となり、「神武さま広場」が開かれ、宮崎の伝統行事、伝統芸能等を中心にいろいろな催しが開催されます。

現地でいただいた冊子「神武さま広場まるわかりガイド'06」によるとテーマは「神々と感動を共にする」秋のみやざきを彩る古代・神話の夜。

その名の通り、会場は宮崎の神楽をはじめとする伝統行事、伝統芸能のてんこ盛りでした。
太鼓や、神楽、踊り、神輿、まぐろやお菓子等のふるまい、出店等々、これだけのものが通りのあちこちで同時催されるとどれを見ようかと苦渋の選択に困ってしまいます。

私は今年は神楽に的を絞り、同行者とは現地で別れ(笑)お互い気を使う事もなく?思い思いに神武さんの夜を楽しみました。

神楽だけでも会場三ヶ所の神庭(こうにわ)で宮崎の各地の神楽が同時開催されており、どれも見たく、困りましたが、今回は本舞台の神庭(こうにわ)で舞われた高千穂、岩戸の野方野地区にある石神神社の神楽五ヶ瀬三ヶ所神社神楽を中心に、大島神社神楽生目神社神楽等を見た。

中でも印象に残ったのははじめて見た「大島神社神楽」だ。
番付「金山」は動きの激しい実にアクロバテックな舞でカメラのフレームに収めるのに苦労するほど。(やっぱり上部が収まらなかった)

 大島神社神楽01

 大島神社神楽02
 [大島神社神楽 金山 ↑宙に浮いてます]

生目神社神楽は私の好きな番付「太玉」に期待したが、この日は違う番付を中学生位の若手が舞っていたようだ。
伝統行事の後継者不足が聞かれる昨今、実に頼もしいことです。

高千穂、岩戸の野方野地区にある石神神社の神楽は岩戸地区の岩戸神楽の流れのようで、ハイライトの岩戸開きの3番、手力(たちから)鈿女(うずめ)戸取(ととり)、あと独特のツノのある面様で舞う杉登(すぎのぼり)であった。

 高千穂神楽
 [高千穂、岩戸の野方野地区にある石神神社の神楽 戸取り]←詳細はクリック

五ヶ瀬三ヶ所神社神楽 柴引き(しばひき)
力強い面様でなかなかダイナミックな舞であった。

 五ヶ瀬町 三ヶ所神社神楽
 [五ヶ瀬三ヶ所神社神楽]←詳細はクリック

毎年、神武大祭のご神幸行列(神賑・しんしん)行列には出かけれど「神武さま広場」へ出かけたのは実はこれがはじめてでした。

結構盛りだくさんの行事で楽しめます。

来年も行きたいなぁ〜。








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ホテル神田橋

 宮崎交通がようやく産業再生機構の手を離れ自力再建への道を歩もうとしている、そんな最近の少し明るいニュースの中、残念なニュースが・・

昭和26年開業の大淀川河畔の老舗ホテルであるホテル神田橋が看板を下ろす(自主廃業)事が27日明らかになったようだ。(情報元:28日付宮崎日日新聞朝刊)

旅行のスタイルの変化、新規オープンしたビジネスホテルとの競合等よる売り上げの落ち込みが主な要因とか・・。
最近は夕食は外で食べて泊まって朝食だけというパターンが増え、客消費単価は低下(ピーク時の半分まで低下)、また和室中心の構成で人件費等がかさむ等、ニューズへの対応が遅れてしまったのも要因のようだ。

現代人は残念ながら夕日でも見てゆっくりホテルで過ごそういうなどというそんな余裕はないのだろう・・。

ホテル神田橋の前身は戦前、作家の志賀直哉、武者小路実篤が投宿して宮崎市の代表的な旅館だった「神田橋旅館」
戦後その名を引き継いで江渕栄氏が開業。
川端康成の小説「たまゆら」に取り上げられた観光スポットの大淀河畔にある。

ホテル神田橋は11月19日昼ですべての営業を終えるとの事。

たまゆら執筆中、夕日が綺麗と何日も当時の宮崎観光ホテルに延泊、川端康成も愛した橘公園あたりもいずれマンションだらけになってしまうのだろか・・。

 橘公園の夕日01


「たまゆら」/川端康成の一節より

 二人は川べりに立って夕映えのなかにつつまれて夕映えをながめた
 夕映えは大川の水面にもひろがって来ていた
 静かな水の色が夕映えのなかへふくらんで
 あたたかく溶け合っているようだった。

 橘公園の夕日02 

歴史あるホテルが一つなくなるのは本当に残念です。
当サイトもホテル神田橋さんのWebページよりリンク頂いておりました。
ありがとうございました。


 当サイト内関連ページ→橘公園

この記事は一定期間掲載後に削除予定ですのでコメント/TBなし設定。

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鶴瓶の家族に乾杯 日南市編

NHK放送「鶴瓶の家族に乾杯」今回は、宮崎県日南市。
放送時間等(前編)は10月23日(月)午後8時00分〜8時45分

今回のゲストは、片岡鶴太郎さんだそうです。
是非ご覧になってくださいまし。

NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」サイトによると
今回から2回のゲストは、この番組3度目の登場の片岡鶴太郎。
鶴太郎が今回の旅に選んだ場所は、宮崎県日南市。
宮崎県を訪れたことがないという鶴太郎はどんな土地柄なのか興味津々。
サーファーが集う海岸で待ち合わせた2人は、さっそくその場でどこへ行くかをリサーチ。
鶴瓶はその場にいた人の地元、昔ながらの風情が残る城下町に移動。
一方の鶴太郎は漁師が案内する漁協に行くことに…。
はたして2人の旅の行方は…。(以上NHKサイトより引用)

リンク先の予告編動画を見ると、なんとなく海岸は富土海岸(“ふじ”ではありません“ふど”です)の様にも・・見えますが・・どうでしょう。(*間違いのようです。)

 富土海岸(日南市)
  [日南市富土海水浴場]

*その後「かもめさん」のご指摘で「大堂津海岸」のような気がしてきました(^^;)

城下町は間違いなく飫肥と思います。漁協は油津の漁協かと思います。

 日南市でのロケは 9月27日頃行われたようです。
 楽しみです。放送を見た後に追記で更新したいと思います。

過去に書いたNHK放送「鶴瓶の家族に乾杯」関連のページをリンクしておきます。

next鶴瓶の家族に乾杯 綾町
 放映日 03年09月29日 ゲスト 槙原さん(元ジャイアンツ投手)
next鶴瓶の家族に乾杯 高千穂] 
 放映日 05年7月1日 ゲスト KABA.ちゃん

 宮崎フィルムコミッションサイトによると上記以外にも
 2001年に ゲスト 間寛平さんで南郷町 目井津(大島含む)、中央町、榎原 でのロケ、放映が行われたようです。(残念ながら当方はノーチェックでした。)

[追記]

今回は、鶴瓶さんとデート、飫肥の蝦原美智子さん(みっちゃん)が番組をリード、行く先々で歓迎、日南市の方々の人柄がよく表れており、なかなか良い感じでした。
トビウオの刺身が出ておりましたが、宮崎ではトビウオの刺身等はスーパー等にもよく並びます。トビウオのサシミはクセもなくアジ等より歯ごたえもあり、味はイサキに近いかなぁ・・とても美味しいです。
飫肥ではたまたま通りがかった女性たちのお兄さんが、「宮崎県の歌」の作詞者など・・本当に偶然?と思う事もしきり。
NHKは自治体にしか取材を事前に知らせてないと聞きますが・・。

余談ですが・・蛯原さんで思い出しましたが・・
モデルの蛯原友里さん(本名)通称「エビちゃん」は宮崎県出身です。

10月30日放送、後編予告です(NHKサイトより引用)
片岡鶴太郎と旅をする後編。
片岡は地鶏の加工所で知り合った養鶏家の農場を訪ねる。
かつての十八番、ピヨコちゃんで500羽のヒナとご対面。
その後、焼酎の蔵を求めて歩くと・・・。
一方の鶴瓶は、旅の冒頭で出会った女性との城下町デートを引き続き楽しむ。
積極的な彼女のリードで「見知り合い」という新婚夫婦と親族の宴席に飛び入りしたり、古民具屋ご夫婦に出会ったり・・・。
果たして2人の出会い旅の結末は?

次週は、地鶏頭(じどっこ)センターや、大堂津にある焼酎「八重桜」の古澤酒造等が出るようで、サーフィンのポイントである「小吹毛井」にも出かけたようです。予告編を見ると、飫肥城址前にある「四半的」の試射等の画像もありました。

四半的とは・・


四半的の由来 
今を去る400年の昔、永禄11年はまさに戦国時代でした。15代「伊東義祐」公は2万余騎をひきいて居城の浮舟城(西都市)をあとに今は「島津忠親」のたてこもる飫肥城攻略に向かいました。
篠ヶ城に本陣を構えた義祐公は寸分のすきまも残さず飫肥城を取り囲み昼夜を分けず攻め立てました。
これに対して島津方の加勢援軍が包囲している伊東方を打って出ようとしましたが、伊東方は全軍突撃して島津勢を討取ることに成功した。 
この戦いに伊東方は馬引、人足、附近の農民が竹作りの即製の半弓を持って参加し、「ヤーヤーソレソレ当タルワ」と大声で叫び、敵勢を圧迫し伊東方の勝利に大きく貢献した。
その後伊東藩内においては、この合戦の功績により一般、農民に娯楽用として弓矢を持つことを許可するようになったと言い伝えられている。(飫肥城四半的試射場配布資料より一部引用)

何故四半的というか・・・


農民武道(娯楽)として許可された定が。 的までの距離 四間半(8.2m) 弓・矢の長さ 四尺半(1.37m) 的の大きさ 四寸半(13.6cm)だった。全て四半でまとまっている為、四半的と言う。特に矢の長いのが特徴。

→ 画像BBSにも関連話題があります。






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今回の一枚 高千穂神楽 アメノウズメ
[高千穂の夜神楽]


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